「聖夜の星 =まがうとき外伝=」  「シングルベール、シングルベール、悲しいなぁ…今日はぁ寂しいク リスマス…フゥーー」  などと暗い歌を大声で歌いながら、一人寂しく日没間際の第三京浜を 一人飛ばしていた。  クリスマスイブのこの日、追い抜く車はどれも若いアベックだらけで、 いちゃつきながら追い越し車線をとろとろ走っている車を煽りながら、  「いよぉー、お二人さん!熱いねぇーー、お熱いのは判ったから、と っととどきやがれ!!」 と、子供の頃マンガで読んだことがあるような台詞を吐きながら、一路 横浜目指してひた走っていた。  普段なら、時速制限速度オーバーギリギリの速度で走っていると、怖 くなってすぐスピードを落とす癖に、日没間際で視界が狭くなっている のと、独り者のやっかみからか、今日は制限速度をオーバーするスピー ドでも平然として、しかし頭に血が登ってとばしている今の自分と、そ れを冷静に見つめている別の自分とが見える気がして、何となく怖くな ってしまう。  スピードメーターは、玉川から第三京浜に入ってから制限速度を下回 ったことが無く、スピード超過の警報音が車内に鳴り響いているし、タ コメーターは、三千回転〜四千回転付近を指して、ターボの過給器圧メー タは”+”方向に上がったまま下がってこなかった…そのくせ、後ろか らいつ覆面パトカーや白バイが追っかけてきやしないかとヒヤヒヤして いる自分にも何となく笑えてしまう。  毎年、クリスマスイブの晩は自宅でおとなしくしているのが普通であ ったが、今年はなぜか頭に来て第三京浜を暴走している。  …幼なじみが死んだ…長い闘病生活で苦しんだ末の往生であった…  子供の頃から兄妹様にして育ったあの娘は、病気で苦しみぬいて、私 の手を取り息を引き取った。  「元気になっら、ドライブしような」 と、指切りまでしていたが、あの娘は死んでしまった。  あの娘の葬式で、あの娘の遺骸が入った棺を担いだが、その棺を担い だ人は皆その軽さに驚き、涙した…長い間病魔に蝕まれたあの娘の遺骸 が火葬にされた…その白く焼けた骨は細く、そして脆かった…  片手に乗るくらいの小さな骨壺に納められたあの娘の骨は、私の家の 窓から見えるあの娘の祖先の墓に入ったのだ。  闘病生活の日々を送るあの娘を励まそうと、見舞いに行く度に一生懸 命旅行やドライブに行ったときの話をしてきた。  ベイブリッジから見える富士山や房総半島の遠望や夜景のすばらしさ、 高尾山のリフトの頂上から見下ろす東京の景色…  それを聞く度に、あの娘は私の話を聞く度に目を輝かせて  「早く見てみたいなぁ…」 と、言っていた…そんなことを走りながら時折思い出していた。  …なぜこんな時、こんな時間に走ろうとなどと思ったのかうまく説明 できない…いや、判らないと言った方が正解かも知れない。  心の奥底からの衝動…何かに突き動かされるように、私は家から飛び 出し、あの娘の墓の前まで行き、あの娘の墓から一輪の白百合を抜き取 ると、  「行こうか…」 と言って、そっと懐に納めた。  愛車のカバーを外し、運転席に乗り込んだ私は、イグニッションキー を回し、エンジンをスタートさせた。  途端にツインカム24バルブのエンジンがその咆吼をあげる。  エンジンをアイドリングさせて暖機運転している間に、私は懐から白 百合を取り出し、助手席にそっと置いた…  静かに滑り出すように駐車場出た私は、最初暗い気持ちで静かに市街 地を走っていたが、環状8号線から第三京浜の入り口を示す看板が見え る頃になると、なぜか途端に気が高ぶって、第三京浜に侵入し多摩川に 架かる橋にさしかかる前に、既に私は制限速度オーバーの世界に入って しまった。  第三京浜の横浜料金所を過ぎると首都高速に入る。  日は既に暮れ、宵闇間際の薄暮の状態になっていた…しかし、この間 は今の季節では短く、余韻に浸る暇を与えずすぐ宵闇になる。  宵闇に包まれた車はとうの昔に暗くなり、車内の明かりはダッシュボー ドの計器板と、ターボタイマーのデジタル計、カーステレオのスイッチ 類の照明と、イコライザーのインジケーターが、せわしく動いてるのみ であった。  車内は冷え込み、暖房を入れる。  暖房を入れるとき、ふと助手席の白百合を見た。白百合は、時折窓か ら差し込む街路灯の明かりにその白さを浮かび上がらせていた…  ベイブリッジの一番高い所は、既にアベックの違法駐車に占領されて いて、さっきからパトカーが懸命にどかしていた。しかし、アベックの 数には適わず、せっかくどかしても、後から来た別のアベックの車が駐 車するという鼬ごっこの状態になっていた。  私は、運良くこの退いたばかり場所を見つけ、車を路肩に寄せて、ハ ザードランプを点滅させた。  本来、こんな事はしてはいけないのだが、今日は特別な日なので目を つぶっていただこう…  助手席から静かに白百合を取り上げた私は、車から降りてつかつかと 橋の欄干に歩み寄り、大きく振りかぶって白百合を投げた。  「バカヤローーーー!」  なぜか私の口から出た言葉がこれであった…なぜだろう…本当はもっ と優しい言葉をかけてあげたかったのに、心のもやもやが思っているこ とと裏腹の言葉を叫んでしまった…  …と、その時、  「『バカヤロー』とは、なによ!」  その聞き慣れた声に驚いて振り返ると、車の助手席にはあの娘がふく れっ面をして座っていた…  私は、とっさのことなので驚いて、思わず橋の欄干に後ずさりをして、 そこから、海に落ちそうになった。  「あっ、危ない!落ちたら、死んじゃうわよ!!」  …既に死んだものに言われたくない台詞である…  橋から落ちそうになったのと、つい先日その死化粧された本人の棺を 担いだ幼なじみの幽霊を見た驚きから、私は心臓が今にも破裂するので はないかという位の激しい動悸に襲われた。  私が、高鳴る心臓を押さえて橋の欄干に寄りかかっていると、  「そこのスカイライン、ここは駐停車禁止です、すぐさま移動しなさ い!」  その声がする方を向くと、いつの間にかパトカーが車の後ろに来てい た。  「やべ…」  私は、動悸が収まらないまま、慌てて車に乗り込み発進させた。  「ホントに…まー兄ちゃんてば危ないことするんだから…」  助手席にいるあの娘は真顔で心配しているようであった…  私は、横目であの娘の事をちらちら見ながら、怪訝そうにしていた。  「あら…普段、あんなに幽霊や妖怪の話を書いている人が、本物にあ ったらそう言う態度に出るわけ…?」  と、あの娘は平然と言った。私が書いている小説や詩は、あの娘に持 っていって読んで貰っている。  私は霊とか妖怪とかは割と信じる方である…でも霊はその人に対して 恨み事や伝えたいことがあるときなどの残留思念として現れることだと 思っている。  現に、この車の前のオーナーの霊を助手席に乗せたりしたときは、前 のオーナーがこの車の行く末を心配して出てきたと思っている。  しかし、この場合は判らなかった…あの娘は確かに私の手を取り死ん でいったはずで、私に恨み事などあったのだろうか…?  私は、あれこれ考え出した。  「ははぁ…、まー兄ちゃん何で私が出てきたか勘ぐって居るんだ!」  悪戯っぽい目で言うあの娘に図星を指されて私は狼狽した…  (おまえは、”さとり”か?) と、思わず心の中でつっこみを入れたが、なぜか怖くて口に出せなかっ た…そんな私に…  「こらぁーー、まー兄ちゃん私が何で化けて出てきたか判るぅ…?」  肩まで伸びたその黒髪を少し口に挟んで、手を胸の当たりに上げて手 の甲を見せてだらりと下げながら言った。  「ひっ…いえ…知りません」  私は、その迫真の演技(幽霊だから当たり前)に、びくびくしている と、  「あたしが、どんなにあんたを恨んでいたかぁ…」 と、たたみかけるように言った。  「ひーーっ」  怖がって身を縮めている私に対して。  「なーーんね、ウソよ!」 と、けらけらと笑ってペロッと舌を出して笑った…あの娘の癖である。  「大丈夫よ!私は別にまー兄ちゃんを恨んで出たんじゃないから…まー 兄ちゃんとドライブしたかっただけ…」 と、急にしおらしくなって言った。  途端に、私に虚脱感に襲われた。そのため、車は左右に振られた…  「あっ…危ない!事故起こして死んだらどーするの!!」  …これも、死んだ者に言われたくない…  私は、ハッとなって車の姿勢を制御した。  「お、おっ…おどかすない!」  車の姿勢を戻した私は、どもりながら言った。  あの娘を見ると、目を丸くして真顔で驚いていた…  そして、暫く2人とも黙っていた…車は鶴見大橋を渡り、扇島に入っ ていた…そして、川崎〜東京間の海底トンネルにさしかかる頃、あの娘 は口を開いた…  「本当はね…病気が治ってまー兄ちゃんとこうしてドライブしたかった んだけど…あたしが死んじゃって…出来なくなっちゃったね…ごめんね… まー兄ちゃん…」  あの娘は言葉の後半で半べそ状態になって言葉を綴った。  「そうだね…本当に残念だよ…でも、こうして君と走っていられるん だから、君の願いは半分叶ったんじゃないかなぁ…」  私も、内心こみ上げる物があったが、なるべく明るく装って言った。  「…そうね」  べそをかきながらあの娘は精一杯の笑顔を見せた。  落ち着きを取り戻した私は、あの娘の事を受け入れていた…いくら幽 霊とは言っても、あの娘はあの娘…私の幼なじみには代わりがないのだ から…  「私ね…まー兄ちゃんが、今年のお盆に”りえねえ”を乗せたって聞 いたから、ひょっとすると、私も死んじゃったらまー兄ちゃんの車に乗 れるっかなぁ…って、ずっと思ってたの…そしたらね、こうしてまー兄 ちゃんとドライブ出来たわけ」  あの娘は、今年の夏私達が実の姉のように慕ってよく遊んで貰った昔 隣の家にいた”理恵子”と言う名の女性の霊を私がこの車に乗せたこと を言っていた。  私は、その事を聞くと胸が詰まった…なぜなら、私は長いこと”りえ ねえ”が死んだことを忘れていて、今年の盆に彼女の霊が出てくるまで 忘れていたことを、今でも申し訳なく思っている。  「…私も、いずれはまー兄ちゃんの記憶から忘れられるんだろうなぁ…」 と、あの娘はぼそりと言った。  「そっ、そんなこと無い!お前も”りえねえ”も、絶対忘れない!!」  私の必死の弁明をきょとんとして聞いていたあの娘は、  「判っているわよ!冗談よ!!」 と、にこやかに言った。しかし、その顔の隅に寂しさがよぎったのを私 は見落とさなかった…  …また、暫く沈黙が続いた…  車は、東京湾海底トンネルを抜け、レインボーブリッジにさしかかった。  「車がこの橋を渡ったら、お別れね…」 と、あの娘は急に悲しそうな声で言った…  (とうとう…逝くのか…)  私は、つらい気持ちになった…かぐや姫を見送る翁の気持ちが判るよ うな気がした…  車が橋を渡りきり、ループに入る間際で、  「…サヨナラ、まー兄ちゃん…」  その言葉に助手席を見ると、彼女の姿はもう既になかった。  私は、放心のまま車をパーキングエリアに入れ、意気消沈に車から降 りて、そこから見えるレインボーブリッジのライトアップされた景色を 見て、その視線を聖夜の夜空に移すと、聖夜の星空はレインボーブリッ ジのライトアップの光で霞んで見えた。  「”りえねえ”もお前も死んじゃって、俺だけ一人だけ残されるんだ なぁ…あの世とやらに行っても、お前は寂しくないよな…”りえねえ” が居るからなぁ…」  私は、いつの間にか目に一杯の涙を浮かべて、聖夜の夜空を見上げて いた… 藤次郎正秀